宣言
自分が作ったものを味わっていい
@quietforest Narrated by Paul Rigby 1:52 23 shots
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あなたが打ち込んでいた何かが終わり、もう次のことに手をつけ始めています。それはほんの一日ほどの間に起きたことで、あなたはそれを心に留める間もありませんでした。朝は明るく、急かすものは何もありません。カップがあり、時間があり、そしてこの部屋のどこか、あるいはその画面の中に、あなたが作るまでは存在しなかったものがあります。
終わったばかりの仕事の名残がまだ載っている机。もう引き出しにしまえる書類たち。毎朝同じ隅を見つける光。この数か月のあいだにあなたの形になった椅子。
あなたはあまりに早く次のことに移ってしまうので、終わったことが心に残る暇がありません。それは勢いのように感じられますが、実際には漏れのように働いています。なぜなら、人が長い仕事に耐えられるのは、その終わりに立ち止まれるという見込みがあるからで、その一歩を飛ばしてしまうと、耐えたことへの対価が実際には支払われないままになってしまうからです。だから次の頑張りは空っぽから始まります。それは落ち着きのなさや野心のせいではなく、受け取ることを習慣にしていないだけなのですが、それが何年も続くと、確かな成果に満ちた人生さえも、ずっと何かの途中にいるような感覚に変えてしまいます。
立ち止まることが本当は何を守っているのか、考えてみてください。終わったものを二十分だけ眺める時間は、次のことから奪われる時間ではありません。むしろそれこそが、次のことを乗り越えられるものにしてくれるのです。なぜなら、そこで初めて、努力がどこかにつながるという証拠が、あなたの中に記録されるからです。それを省いてしまえば、これから先のどんな頑張りも、あなた自身が一度も確かめたことのないものを信じてくれと求めてくることになります。ここでいう休息は、仕事の反対ではありません。仕事があなたにとって意味のあるものになる部分なのです。
ですから今日は、二十分だけ手を止めて、それを眺めてみてください。終わったものを、意図して、他には何も開かずに。あら探しをするためでも、次の改善を考えるためでもありません。ただそれが確かに存在していること、そしてそれが存在している理由は、他の誰でもない、あなただということに気づくためです。
それを作ったのはあなたで、あなたには少しの間ここに立ち止まる権利があります。次のことは正午になってもまだそこにあります。そしてあなたは、前のことをきちんと受け取った人として、それを始めることになるのです。