ちょっとしたヒント
- 連絡を絶ち、思い出させるものはミュートにする。
- 連絡したい衝動を、二十分だけやり過ごす。
- 本当はなぜ終わったのか、書き出してみる。
もし、愛が冷めていたなら、ずっと楽だったでしょう。そうなら、別れはただの手続きですんだはずです。残酷なのは、その気持ちがまだここに、そっくりそのまま残っていて、戻ってこない人へと向いていることです。ふとした時間にその人が恋しくなる。何でもないことを伝えようと、スマホに手を伸ばす。良かった日々を何度も思い返し、悪かったところは編集して消してしまう。もう分かっているはずなのに、心のどこかで、まだ待っている。
もし今あなたがそこにいるとしても、あなたは弱くも、壊れてもいません。ただ、心がその知らせを受け取りそこねただけ。頭で分かっていることと、心が感じていることのあいだにある、その隔たり。それが問題のすべてです。そして、それはごくふつうのことなのです。
なぜこんなにも頑固なのか、まずそこから話して、そのあいだ何をすればいいかを考えていきましょう。
あなたの脳は、これを「禁断症状」として扱っている
人が恋しいという気持ちが、悲しみというより「渇望」に近く感じられるのには、理由があります。
人類学者ヘレン・フィッシャーらの研究チームは、つい最近ふられたばかりで、それでも深く愛していると答えた人たちを脳スキャナーに入れ、去っていった相手の写真を見せました。光ったのは、悲しみに関わる領域だけではありませんでした。報酬、動機づけ、渇望に関わる領域も光ったのです。それは、誰かが薬物にのめり込み、次の一回を欲しがるときに働くのと同じ回路の一部でした。参加者は、起きている時間の85パーセント以上を、別れを告げた相手のことを考えて過ごしていると報告しました。
このことを、少しのあいだ味わってみてください。なんだか、ふっと楽になるはずです。あなたが「もう終わったこと」と決めるだけで割り切れないのは、脳の一部が、まるで身体的に依存しているもののように、この人を処理しているからなのです。恋しさは、性格の欠点ではありません。それは、進化が育てた渇望のしくみが、ただその役目を果たしているだけのこと。
ここがいちばん大事なところです。同じ研究で、愛着に関わる脳の活動は、別れから時間が経つほど静かになっていきました。引っぱられる感覚は、初日に消えるわけではありません。でも、薄れていきます。あなたが無理やり消したからではなく、栄養を与えられなくなったとき、このしくみがそうなるからです。
ひとつの「喪失」として、ちゃんと悲しむ
私たちは「悲しみ(グリーフ)」という言葉を、死のために取っておきがちです。でも、半分まで築き上げていた未来を失うこともまた、本物の喪失です。そして、それは死と同じものを求めます。終わらせるには、感じきらなければならない、ということです。
それは、悲しみから逃げるのではなく、悲しみが訪れるのを許すということ。涙が来たら、泣く。怒りが来たら、怒る。送らない長い手紙を書いて、送らない。感じることを拒んだ気持ちは、消えてはくれません。ただ、待っているだけです。決まった予定もなく、波のように悲しみを通り抜けていく人のほうが、それを歯を食いしばってこらえ、それを強さと呼ぶ人より、早く反対側へ抜けていく傾向があります。
ただし、「感じること」と「ぐるぐる回ること」は違います。悲しむことは、前へ進んでいきます。反芻(はんすう)は、堂々めぐりをします。同じ三つの思い出をくり返しなぞったり、「あの人は戻ってくる」という理屈を何度も組み立てたりして一時間が過ぎていたら、それは堂々めぐりで、傷を開いたままにします。それに気づいたとき、すべきことは自分を叱ることではありません。やさしく注意を、自分の身体や周りの景色へ向けて、何かひとつ、小さくて本物のことをする。立ち上がる。外に出る。誰かに電話する。
渇望を、やさしく飢えさせる
ここが、はっきりとした一歩がいちばん効くところで、いちばん難しいところでもあります。
心の専門家たちは、これについてはかなり率直です。無理のない範囲でできるかぎり、連絡を絶つこと。メッセージも、相手のページを見ることも、家の前を通ることも、心がまだ大きく開いたままの「ただの友だちでいる」ことも、やめる。冷たく、自分に対して残酷にすら感じられるかもしれません。でも、そうではありません。相手という「一回」に手を伸ばすたびに、あなたを苦しみのなかに留めているしくみそのものに栄養を与え、静まっていく時計をふりだしに戻してしまうのです。カウンセラーはよく、何週間か、あるいは数か月という、まとまった時間を置いてから、そもそも連絡をとる意味があるかどうかを判断するよう勧めます。
連絡を絶つことを、ただ痛いだけのものではなく、乗り越えられるものにする工夫があります。
- きれいに切るのが決定的すぎてつらいなら、派手にブロックするより、ミュートかフォロー解除にする。目的は、思い出させるものを減らすことであって、宣言することではありません。
- 思い出の品は、今はしまっておく。あのパーカー、あのプレイリスト、あの写真。燃やす必要はありません。クローゼットの中の箱ひとつで十分です。
- 連絡したくてたまらなくなる夜の九時。その瞬間に何をするか、前もって決めておく。散歩、代わりにメッセージできる特定の友だち、そのときだけ取っておくドラマ。
- 衝動がきたら、行動する前に二十分だけやり過ごしてみる。渇望は、高まっては引いていきます。ガソリンを注がなければ、たいていは過ぎていきます。
そして、弱った瞬間に自分へ語って聞かせる物語にも、正直になりましょう。恋しさには、良いところだけが残るまで、関係を美しく塗り直す癖があります。役に立つなら、終わった本当の理由を、ありのまま書き出しておく。そして、ノスタルジーが歴史を書き換え始めたら、そのリストを読み返してください。
これを全部抱えている、身体をいたわる
心がぼろぼろのとき、基本的なことなんて、どうでもよく思えます。でも、そうではありません。それは、あなたを支える土台です。
失恋は、気分だけでなく身体にも来ます。眠りが乱れ、食欲が消えたり暴走したりして、何もかもが重く感じられます。やる気が出るのを待つ必要はありません。ただ、小さなことをやればいい。何か、ちゃんとしたものを食べる。日中、外の光を浴びる。少しでいいから身体を動かす。一日にいくらか形を残しておく。空っぽの時間こそ、悪循環が棲む場所だからです。
分かりやすい逃げ道にも、気をつけてください。一杯、二杯のお酒は、その晩だけ痛みをぼかしますが、たいてい翌日いっそう気分を沈ませ、夜九時のメッセージをずっと送りやすくします。麻痺させることは、悲しみを一時停止するだけ。前へは進ませてくれません。
ゆっくりと、また「ひとりの全部」になっていく
誰かを深く愛するとき、あなたの人生はその人を中心に育っていきます。相手の好み、相手のスケジュール、相手のそばにいたときの自分。だから、痛いのは、その人が恋しいことだけではありません。その人がいない部屋で、自分がいったい何者なのか、よく分からなくなっていることなのです。
ここは、静かに希望のある部分でもあります。今の仕事は、その空間を、小さなかけらひとつずつ、取り戻していくこと。あなただけのもの、相手とは何の関わりもなかったものを、また始めてみる。恋人がいるあいだに離れてしまった友人に会う。いつもなら断る誘いに、はいと言ってみる。どれも、最初は十分には感じられないでしょう。それでも、やってみてください。失ったものを埋め合わせようとしているのではありません。あなたが、ひとりでも全部そろった人間なのだと、自分に思い出させているのです。その人は、このすべての奥底に、もうずっといるのですから。
時間だけでは足りないとき
別れの悲しみは、痛むのが当たり前で、何週間も何か月もかけて、でこぼこしながら和らいでいくのが当たり前です。それが、ふつうの道のりです。友人や家族は、それを乗り越えていく支えのひとつ。ひとりでいるほうが楽に思えても、あなたを愛する人たちに、ちゃんとそばにいてもらいましょう。
でも、ときに、それは友だちひとりで抱えられるより大きいものになります。何週間も過ぎても少しも前へ進めないとき、仕事ができない、食べられない、眠れないとき、大切だったものに関心が持てなくなったとき、あるいは痛みが「ここにいたくない」という感覚にまで傾いてしまったとき。それが、専門家に手を伸ばすときです。良いセラピストは、あなたが立ち直りに失敗した証ではありません。これを一緒に運び、あなたが自分を組み立て直すのを助けるよう訓練された人で、失恋の悲しみは、彼らがいつも扱っているものです。もし自分の考えに対して安全でないと感じたら、ひとりで耐えようとしないでください。今日、危機のための電話か、信頼できる人に手を伸ばしてください。
あなたは、ずっとこんなふうに感じ続けるわけではありません。今は、身体じゅうがそう信じこんでいるとしても。愛が薄れるのには長い時間がかかるかもしれないし、完全には消えないかもしれません。それでいいのです。それでも、その隣に良い人生を築くことはできます。痛みは小さくなっていきます。あなたが、大きくなっていくのです。これから先のある何でもない朝、あなたはふと、その人が最初に思い浮かんだことではなかったと気づき、いちばんつらい時期は、もう後ろにあるのだと分かるでしょう。